第35回隊友ふれあいウォーキング実施報告  

 「武蔵野の面影を求めて(和田堀廟所から蘆花恒春園を経て烏山念仏堂へ)」をテーマに会員19名(夫婦1組、女性7名)の参加を得て、5月28日(土)予定通り実施しました。

 09:00京王線「明大前駅」を出発、明治大学和泉校舎の西隅土手に「幕府焔硝蔵跡」の碑が有りますが、江戸時代、甲州街道は将軍家のいざという時の甲府城への避難道で江戸唯一の軍道でした。
八王子には鉄砲隊が常備されていましたが、ここ一帯には火薬庫が置かれ、街道は「黒粉街道」とも呼ばれていました。
明治・大正期になると陸軍の火薬庫となり、今の京王線明大前駅は「火薬庫前」と言う物騒な駅名でした。

 明治大学と隣り合わせに築地本願寺和田堀廟所が有りますが、ここは昭和9年、築地本願寺が未だ武蔵野の面影を残すこの地に墓地を移し、緑豊かな公園墓地とした処です。
墓地には、「たけくらべ」等の名作を残した明治の女流作家樋口一葉の墓、哀愁に満ちた歌集「金鈴」で知られる明治・大正の女流歌人九条武子、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」等の古賀メロディーで知られる昭和の作曲家古賀政男等の著名人の墓が在ります。

 江戸に飲料水を供給した玉川上水は、昭和40年頃までは、この地を豊富な水が流れていましたが、今は暗渠となり緑道の続く公園となっています。
尚、桜上水の地名は、上水に沿って桜の並木が続いていたことによると云われています。

   
          築地本願寺和田堀廟所                                玉川上水緑道

 次に向かった宗源寺は、南北朝時代、承和年間の創建と伝わる日蓮宗の古刹で、元久2年秩父平氏の流れを汲む畠山重忠が北条時政に謀殺され、畠山氏は滅亡しますが、後に重忠の一族江戸氏の末裔である日善上人が一族の霊を弔うため、ここに草庵を結んだのが当寺の創りと云われています。
境内に高井戸の地名の起こりとなった云う高井堂と呼ばれる不動堂が在り、また境内には樹齢350年のラカンマキの老樹が在ります。

 因みに、江戸氏は、名家好きの家康により同族の豊島氏とともに旗本として召抱えられますが、江戸の名前を憚り与えられた領地の地名である喜多見氏を名乗ったと云われています。

   
          高井戸の地名の起こりとなった高井堂                    宗源寺本堂とラカンマキ

 桜上水一帯には、日大文理学部の立派な建物が立ち並んでいますが、ここはかっては日大の運動部のグランドでした。
防衛大学校学生時代にアメリカンフットボウル部に所属していた筆者は、明大OBの野崎コーチに連れられ日大チームとの合同練習及び練習試合に何度か訪れました。
55年以上も前の事で当時この辺りは一面の耕作地でしたが、今は当時の面影は全く見当たりません。
その為、第1回目の経路偵察では、迂闊にも昔ここに来た事に全く気が付きませんでした。

 次に訪ねた密蔵院は、新義真言宗の古刹で小石川護国寺の末寺で、観音堂に百体観音が祀られ境内の奥に石仏群が林立していました。

   
          百体観音が祀られている観音堂                             石仏群

 密臓院を後に上北沢を経て八幡山へ。
八幡山には明治大学のグラウンドが在りますが、学生時代に、アメリカンフットボウル部のコーチが明大OBであったこともあり合同練習の為、しばしば訪れた記憶があります。
この辺りは、狭い道路が複雑に入り込んでおり、偵察時迷いに迷った処です。
聞く所によると、野作地帯が急速に住宅地化したため、農道がそのまま舗装されたとの由。

 環八通りを渡ると目の前が蘆花恒春園ですが、その入口近くに粕谷八幡神社があります。
この神社は、蘆花の名作「みみずのたわごと」に出てくる八幡神社で、蘆花は客が帰る時何時もこの神社まで来て客を見送ったと云われています。
この社には一本杉が在り「別れの一本杉」として描かれていますが、今は枯れ切り株が鳥居の手前に残っています。
その近くには地元の有志により二代目の一本杉が植えられています。

 烏山川が流れるこの地は、「不如帰」「自然と人生」等の名作を残した明治・大正期の文豪徳富蘆花が、武蔵野の雑木林の風情に惹かれ住んだ処で、「永遠に若く」との願いから住いを「恒春園」と称したと云われています。
蘆花は、トルストイを訪ねたロシア旅行から帰って来た翌年の明治40年、青山から雑木林の続くここ旧千歳村に移り住み晴耕雨読の晩年を過ごしました。
「みみずのたわごと」は、ここで執筆されました。

   
            蘆花恒春園記念碑                                  旧居(客室)

   
                旧居(書斎)                                   夫妻の墓

 蘆花恒春園を後に、世田谷百景の一つと云われる「粕谷の竹林」を訪ねました。
今も竹林が住宅地に点在し、それを示す道標もありますが残念なことに、時代の波に洗われ往時の風景とは異なってきております。
世田谷文学館は、平成7年に開館し徳富蘆花を始め柳田邦男、萩原朔太郎等世田谷ゆかりの作家を、世田谷の風景とともに紹介しています。

 世田谷文学館前の散歩道を抜けると烏山神社の前に出ますが、神社の北向いに烏山念仏堂が在ります。
古くは薬師堂とも言った念仏堂は、念仏三昧により極楽往生を求める念仏宗信者の寄り合いである念仏講の念仏道場でした。
こうした宗教的行為は、幕藩体制下で重い租税に苦しむ村人に苦しみを与えるものから眼を逸らせるのに好都合であった為、一揆等起こされるよりはましと領主達は歓迎した様です。

   
          地蔵菩薩石像と釈迦涅槃石像                               石仏群

 念仏堂に御参りした後、京王線「千歳烏山駅」に向い、北口にある海鮮レストラン「目利きの銀次」において、昼食会を実施した後、解散しました。
 次回、第36回隊友ふれあいウォーキングは、9月末に23区内のコースを予定し、現在検討中です。
会員家族・友人を含め多くの会員の参加を歓迎します。

                                          平成28年7月7日
                                          武蔵野の史跡を巡る会 世話人  道面 康紀

第34回(平成28年4月) 「文京の台地(小日向台、目白台)に史跡と庭園を訪ねる」へリンク

第33回(平成27年12月) 「文京の里に名園・名刹を訪ねる」へリンク

第32回(平成27年10月) 「八王子市に千人同心の史跡を訪ねる」へリンク

第31回(平成27年7月) 「再び豊嶋氏の石神井城を訪ねる」へリンク