第38回隊友ふれあいウォーキング実施報告  

 第38回ふれあいウォーキングは、「練馬十一ヵ寺から愛染院を経て光ヶ丘公園へ」を、テーマに4月15日(土)(8日雨天の為、1週間延期)、23名(夫婦5組、女性7名)の参加を得て、実施しました。

 今回は、光ヶ丘防災センターを研修するとともに、大規模災害に備え「大規模救出・救助活動拠点候補地」に指定され整備されている都立光ヶ丘公園の各種施設を見学しました。

 9時、西武線練馬駅北口を出発し、先ずは白山神社へ、白山神社は、旧練馬村の鎮守で、平安時代の永保3年、陸奥の清原一族の内訌に端を発した「後三年の役」で、奥州に下る源義家が戦勝を祈願して欅を手植えしたと伝わる古社で、石段の下にある樹齢900年を超える大欅が、それと伝えられている。
豊島園の近くに練馬十一ヵ寺が在りますが、元は5代将軍綱吉の生母・柱昌院の菩提寺・浄土宗誓願寺の子院で、仁寿寺、迎接院等の十一ヵ寺からなっています。

 本坊の誓願寺は、もとは小田原に在りましたが、徳川家康の江戸入府とともに神田に移り、明暦の大火で浅草に移転した朱印300石の格式のある寺院でした。
関東大震災後、本坊から独立した十一院が、この地に移りました。
墓地には、小野嵐山、池永道雲、澤村宗十郎の墓が在ります。

   
    樹齢900年の大欅                             十一院の中央道

 豊島園の南に隣接して向山庭園が在りますが、小規模ながら武蔵野の地形や自然林を活かした茶屋や東屋が佇む純和風庭園です。この庭園から北の豊島園一帯が中世の城、練馬城址とされています。
練馬城は鎌倉末期に、この地の豪族・豊島左近太夫影村が築城した平山城で、石神井川に沿う台地上に在り、城下を赤塚から南下して杉並の大宮八幡宮へ向う鎌倉街道が抜けていました。

 次に向った尾崎遺跡は、豊島園の北西200mに在りますが、この付近は、旧上練馬村の字が「尾崎」であった処から「尾崎遺跡」と名付けられました。 
遺跡は、武蔵野台地の東北端近くに在り、標高30~40mで、石神井川北岸に発達した段丘の南斜面から川沿いの低湿地帯で在った処に立地しており、昭和8年頃に、この付近で弥生式土器が発見され、早くから遺跡として知られていました。

   
    向山公園-1                                  向山公園-2

 大江戸線「春日町駅」の北側、冨士街道沿いに練馬大根碑が在りますが、練馬大根の由来は、延宝5年、後に5代将軍となった綱吉が脚気を患った時、占いを立ててみると、綱吉の諱の右馬頭に因んで「馬」の字のつく地で養生すれば良いとの事で、上練馬村に御殿を建てて養生を始めました。
この時、尾張から宮重大根の種を取り寄せたのが、練馬大根の始りだと言われています。

 大根碑の直ぐ北に愛染院が在りますが、この寺は真言宗豊山派連月山愛染院観音寺と言い本尊は、愛染明王で開山は、室町時代の永享9年(1437)と言われ、寛永年間に寺域を当地に移し、「新編武蔵風土記稿」によると、慶安2年(1649)に3代将軍家光より、寺領12石1斗の朱印を賜っています。
梵鐘は、元禄14年に鋳造されたものです。

   
    練馬大根碑                                   愛染院

 春日町を後に、豊島園通りを北上し北豊島園自動車学校西の交差点を左折して、暫く進むと、右手に相原家の薬医門が在ります。
相原家は、代々この付近一帯の組頭を務めた豪農で、奥州盛岡の大名、南部家と関係が有ったと伝えられています。 
その為、相原家薬医門は、通称「南部の赤門」と呼ばれています。

 門の修理の際に屋根から見つかった棟札には、相原家当主とともに、南部藩御用人並びに御目付の目時隆之進の名が記されていたと云われています。
この相原家薬医門は、切妻破風造りの茅葺屋根で、木造全体にはベンガラ(当初は柿渋)が塗られています。
万延元年(1860)の再建札が現存する表門で、江戸時代の建築様式が伝えられる貴重な建物です。

 折角の機会なので、光ヶ丘公園全般を知って貰うため、やや遠廻りでしたが、夏の雲公園から春の風公園を経て防災学習センターに向いました。

 防災学習センターは、区民が防災に関する知識や技術を身につけ家庭や地域において実際の防災活動が行えるようにする目的で開設された施設です。
又、防災に関するコース制講座や体験講座の実施、展示室での防災資機材等の展示の他、防災会等の団体が防災活動に利用出来るよう研修室の貸し出しも行っています。

 防災学習センターに到着後、先ず全員に起動車による震度7を体験してもらった後、展示室に於いて各種展示を見学しました。
都立光ヶ丘公園は、大規模救出活動拠点候補地に指定され、発災時に自衛隊・消防・警察等の広域支援・救助部隊が、被災者の救出及び救助活動を行う拠点として活用出来るよう整備されています。
光ヶ丘公園に到着後、応急トイレ施設、太陽光等発電施設、地下タンクからの給水施設、ヘリポート、炊き出し施設等の各種施設を廻った後、公園を出て、昼食会場の「はなの舞」に向いました。

   
    相原家薬医門                                  光が丘公園

 今回は、光ヶ丘一帯を広く紹介した為、約10km余り歩きました。参加者の皆さん大変御苦労様でした。

                               平成29年5月5日

                               武蔵野の史跡を巡る会 世話人  道面 康紀

第37回(平成28年12月) 「落合からおとめ山公園を経て西池袋へ」へリンク

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第35回(平成28年7月) 「武蔵野の面影を求めて(和田堀廟所から烏山念仏堂へ)」へリンク

第34回(平成28年4月) 「文京の台地(小日向台、目白台)に史跡と庭園を訪ねる」へリンク

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