第39回隊友ふれあいウォーキング実施報告  

 今回のウォーキングは、「石神井川沿いに史跡を訪ねる」をテーマに9月30日、18名(夫婦3組、女性6名)の参加を得て、古代遺跡と地域に伝わる歴史・民話を訪ねるとともに、都立城北中央公園の防災施設を研修しました。

 9時、大山駅を出発し開店準備に慌しいアーケード街を通り抜け、川越街道に出て直ぐに左に折れ「お福地蔵」へ。
ここは、江戸後期の文化年間に、この地を訪れた地蔵信仰を極めた女行者「お福」が、人々を難病と苦難から救ったと云う伝説の地蔵で、「お福」の死後、その遺言により立てられ、「お福」の名前から「お福地蔵」と呼ばれ悪縁を絶つ御利益が有ると云われています。

 隣の通りに出て進むと、轡神社がありますが、その名の由来は、徳川家康の愛馬の轡を祀ったからと伝えられています。
「新編武蔵風土記稿」には、「東照宮御乗馬の轡を祀ると云えども慥かならず・・・」と記されており、轡権現様と親しまれたとのことです。
社前を通る道は、その昔、岩槻・赤羽から杉並の大宮八幡宮へ向った旧鎌倉街道です。

 
          お福地蔵                          轡神社
 轡神社の直ぐ先に在る専称院は、浄土宗の名刹で、江戸中期、宝永年間創建と云えられており、開基は、目黒祐天寺で知られる祐天上人です。
元は、荒川河岸に有りましたが、関東大震災後、この地に移って来たとのことで、境内には「救世除水難宝塔」等、荒川の氾濫を思わせる地蔵の塔が建っています。

 少し戻り弥生小学校の横を抜け「南ときわ通り」を西に進むと石神井川に出ますが、川の手前右手に小さな祠が在ります。 
板橋区の民話によれば寛政の頃、橋の袂に六蔵なる年老いた乞食が居て旅人から喜捨を受けていましたが、年老いた或る時、突然亡くなり通りかかった旅の僧に葬られましたが、その時、六蔵の懐から大金が出て来ました。
僧侶は思案の末宿場の人達と協力をして、それまで何度も流されていた石神井川の木橋を、石橋に懸け換えました。
感謝した人々は、六蔵を菩薩と崇めて祠に祀り、橋を下頭(何時も頭を下げている乞食)橋と呼んだと云われています。

 下頭橋を渡り環七交差点を経て旧上板橋の鎮守である氷川神社にお参りした後、安養院に向いました。
安養院の創建は不明ですが、寺伝によると鎌倉幕府五代目執権、北条時頼が中興の開基と伝えられている真言宗の古刹で、本堂の紅頬梨阿弥陀如来像は、室町時代の作で類例の少ない仏像とされています。
境内には、大蛇が棲んでいたと伝わる樹齢数百年を超えるカヤの老木が立っています。

 安養院を出て南下し、再び石神井川に出て左岸を遡ると城北中央公園の南口に出ますが、その手前の「おせど山」と云われる小高い台地の関東ローム層から、昭和26年に約1万7千年前の日本列島が、まだ大陸と繋がっていた頃の旧石器時代の黒曜石製の鋭いナイフが出土しました。
遺跡は茂呂遺跡、ナイフは茂呂ナイフと呼ばれています。

 
        専称院                             下頭橋六蔵祠

 
        安養院                              茂呂遺跡

 城北中央公園は、都の公園で22ヘクタールの公園内には、各種スポーツ施設と子供広場が在ります。
又、ここは災害発生時には、避難・救助の拠点となる防災公園として、各種の災害対応施設が整備されています。

 公園内に栗原遺跡が在り、その存在は早くから知られていましたが、立教大学の総合運動場の建設が始まり、造成工事がかなり進んだ段階での発掘調査であった為、未着工の石神井川に沿った台地東端部分が調査されました。

 八か月に亘る調査の結果、弥生時代後期から平安時代に至る竪穴住居跡を始め数多くの遺構や遺物が検出されました。
公園内の石神井川に近い処に、竪穴住居が復元されており、その住居内で公園管理事務所の所長から簡単な説明を受けました。

 公園を出て次に向った荘厳寺は、真言宗豊山派で奈良長谷寺の末寺で、「新編武蔵風土記稿」によれば、「開山良任。天正2年2月3日寂」とあるので、元亀年間(1570~73年)以前の創建と思われます。
境内には、宝篋印塔(1715年)、読誦塔(1748年)光明真言供養塔(1766年)等の石造物が多数残されています。
特に山門の前には、色々な庚申塔及び地蔵が多数並んでいて、近世の石造物の展示場の様です。

 
         栗原遺跡                           荘厳寺

 荘厳寺を後に城北公園通りに出て左折し、長録元年(室町期)創建と伝わる旧下練馬村の鎮守である氷川神社に御参りしました。

 神社の社伝によれば、扇谷上杉氏の武将・渋川義鏡が関東公方足利成氏との戦いを前に、石神井川の水際に在った泉(お浜井戸)の脇で兵を休め、其処に祠を建て戦勝を祈願したのが、この社の創りと云われています。
従って「お浜井戸」が神社の発祥の地で、今は3年に1度の4月9日の春の例祭には、祭神の「お里帰り」と称して神與が、お浜井戸へ向う「神與渡御」の行事が行われ、夜には「田遊び」の行事が催されています。

 お浜井戸から再び石神井川に出て公園で休憩の後、川沿いに進み新大橋で左折して広徳寺(大名寺)に向いました。 
広徳寺は室町末期の元亀・天正の頃の創建とされる臨済宗の禅刹で、創建時は箱根早雲寺の子院として北条氏の小田原城下に在りましたが、のち徳川家康に招かれ江戸神田に再興し、更に寛永12年浅草近くの下谷に移り、「おそれ入谷の鬼子母神 びっくり下谷の広徳寺」で知られ、多くの大名家を檀家とする江戸屈指の広大な寺域を持つ格式ある寺となりました。

 その主な大名家は、金沢藩前田家、会津藩松平家、柳生藩柳生家、高鍋藩秋月家等全部で24家に上り、墓地には巨大な墓碑が林立しています。
 この地に移ったのは関東大震災後で、これ等の墓碑を台東区下谷からこの地に移す改装工事は、当時としては大変なことだったと思われます。
 尚、墓地には、その他に江戸の著名人、画家の谷文晁、書家の亀田鵬斎等の墓が在ります。

 
       氷川神社                             広徳寺・柳生一族の墓

 大名寺を見学後、大門通りを練馬駅に向い練馬駅北口のレストラン「とりみき」で昼食会を実施した後、解散しました。
次回は、11月25日(土)に世田谷区羽根木から目黒区駒場野付近まで歩く予定ですが、
細部は、都ホームページで御案内します。

 平成29年10月17日  
武蔵野の史跡を巡る会   世話人  道面 康紀


第38回ふれあいウォーキングは、「練馬十一ヵ寺から愛染院を経て光ヶ丘公園へ」へリンク

第37回(平成28年12月) 「落合からおとめ山公園を経て西池袋へ」へリンク

第36回(平成28年10月) 「渋谷川に沿う台地上を歩く(広尾から金王八幡を経て表参道へ)」へリンク

第35回(平成28年7月) 「武蔵野の面影を求めて(和田堀廟所から烏山念仏堂へ)」へリンク

第34回(平成28年4月) 「文京の台地(小日向台、目白台)に史跡と庭園を訪ねる」へリンク

第33回(平成27年12月) 「文京の里に名園・名刹を訪ねる」へリンク

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第31回(平成27年7月) 「再び豊嶋氏の石神井城を訪ねる」へリンク