第42回隊友ふれあいウォーキング実施報告  

 「野川・丸子川沿いの史跡を訪ねる」をテーマに、会員等14名(夫婦3組、女性4名)の参加を得て、6月26日(土)予定通り実施しました。
9時、田園都市線「二子玉川駅」を出発し兵庫島へ。兵庫島の地名は、新田義貞の二男、義興の従者の「由良兵庫助」に由来すると云われています。

 延文3年(1358)足利尊氏が54歳で没すると義興等の動きが活発となり、その頃鎌倉公方、足利尊氏の二男基氏は、入間川に在陣し北武蔵の安定化に努めていたが、執事の畠山国清の政治には不公平が多く、関東武士の中には、国清に恨みを持って、新田側に味方する者が多くなった。
そこで国清は、謀略により義興を倒さんと偽って江戸氏の所領を没収し罪科に処した。江戸氏は、国清に対して「一死を持って討死せん」と偽って挙兵し義興の救援を求めた。
義興は、仕組まれた謀略とも知らず延文3年10月鎌倉へ向け兵を動かし、稲城「矢野口の渡し」に於いて舟を沈められ自害した。
この際、従者の由良兵庫助も自害し、その首が多摩川と野川の合流部に在るデルタ地帯の島に流れ着き、村人達は、災いを恐れて、この島に供養したと云う。

 兵庫島を後に、野川を遡りましたが、野川が流れる立川段丘面は、2~3万年前の更新生に古多摩川が流れて造った河岸段丘で、その時代の多摩川は、立川段丘に礫を残しながら武蔵野段丘を横から削っていました。
多摩川本流が流路を変えた後に、国分寺崖線の湧水を集め、多摩川旧河道を流れた小河川が野川です。
野川は、流量が少なく砂を流す力がない為特に上流、中流に於いては、砂を残し緩やかに流れ、魚や水草が棲み易く、それを狙って鳥が集まる「故郷の小川」と云った風情が感じられます。
今回歩いた下流部は、流域の都市化が進み護岸工事が施され、且つ本来の流路も過去2回に亘り変更されていて、本来の野川のイメージと掛け離れていますが、河床部分には、土が残され水草が生え魚も泳いでいます。

  
           兵庫島                        野川下流
 次に向った吉祥院は、東大寺の大仏開眼や国分寺の建立に尽した僧行基により、奈良時代天平12年創建の真言宗の古刹で、多摩川八十八カ所霊場の六十一番札所となっています。

 参拝後、六郷用水跡へと向いました。六郷用水は、江戸に入府した徳川家康の命により代官の小泉次太夫が、慶長2年から15年の歳月を掛けて開削した灌漑用水路で、次太夫堀とも云われ、狛江の和泉で多摩川から取水し、喜多見・野毛と武蔵野段丘沿いに矢口村に入り、多摩川下流の六郷の地の田畑を潤しました。
次太夫は、織田信長に滅ぼされた今川家の家臣でしたが、江戸に入府した家康に、その才を認められ登用された人物です。

 永安寺は、元は室町時代第2代鎌倉公方・足利氏満が没した際、その菩提寺として、氏満の法号から「永安寺」と称する寺院を、鎌倉大蔵に建立したもので、その後第4代鎌倉公方持氏が「永享の乱」で永安寺に於いて自殺、その際の遺命により家臣の子の清仙上人が延徳2年(1490)に武蔵野国大蔵村(現在地)に再建した天台宗の寺院です。

  
          永安寺本堂                     永安寺参道の大公孫樹

 岡本公園民家園は、国分寺崖線の湧水池と武蔵野の雑木林が良く調和した公園で、民家園には旧玉川村瀬田に在った江戸時代後期の代表的な農家の母屋や喜多見村に在った土蔵等が、移築・復元されています。
又、湧水を利用して蛍を飼育する「ホタル物知り館」が在り毎年6、7月には、蛍を観察する事が出来ます。
民家園で、暫し休憩の後、民家園の裏口を出て崖線の急坂を上り、静嘉堂文庫を訪ねました。

 ここは、旧三菱財閥の岩崎家の別邸だった所で、第2代岩崎弥之助・小弥太親子が収集した約20万冊の古典書と約5000点の絵画・古刀等の東洋古美術工芸品を収蔵展示しています。
静嘉とは、中国最古の詩集「詩経」にある「邊豆静嘉」の句から採ったもので、「清らかで美しい」という意味です。庭園は、武蔵野を偲ばせる樹林に蔽われ、その緑陰に弥之助の墓が在ります。
お墓は、青胴ドームの石造塔廟で、設計は神田ニコライ堂を設計した英国人ジョサイア・コンドルです。

  
         岡本公園民家園                      静嘉堂文庫           

 静嘉堂文庫美術館では、「酒器の美に酔う」と題した展覧会を実施中で、国宝「曜変天目」(建窯 南宋時代12~13世紀)が特別公開されており、良い機会なので、少し時間を掛けて見学しました。

  
         静嘉堂美術館                    静嘉堂文庫廟(岩崎弥之助の墓)

 岡本から瀬田更に上野毛に続く地域は、国分寺崖線沿いに位置し水と緑に恵まれた住宅街で、嘗ては華族や財界人達により週末を過ごす為の別荘が建てられていました。

 旧小坂家住宅は、信濃新聞取締役、信濃新聞社長で後に貴族院議員、枢密顧問官を務めた小坂順造(1881~1960)が別邸として建てた屋敷で、敷地は国分寺崖線上の緑辺部に在り、約半分は斜面地となっていて、国分寺崖線の姿を良く残し、湧水も見られ自然と建物が一体となった緑地と空間を形成しています。

 玉川大師玉真院は、弘法大師を祀る真言宗の寺院で、本堂下に秘仏大日如来の胎内(胎藏界曼荼羅)を表し、修業道の<無明の闇>を意味すると云う地下遍照金剛殿と称する奥の院霊場が在り延長100mに及ぶこの地下参道には、厄除けの大日如来を始め涅槃石仏300体が安置され、本尊弘法大師の立像が在ります。
ここを「南無大師遍照金剛」と唱えて一巡すれば、四国八十八カ所霊場と西国三十三番札所巡りをしたのと同じ御利益があると云われています。境内に、ボケ防止観音像が在り会員の皆さんには、こちらの方が人気でした。

   
           旧小坂邸                        玉川大師玉真院

 国分寺涯線を再び登り最後の訪問したのは、行善寺でした。小田原北条氏滅亡後の天正18年、もと家臣の長崎伊予守重光が、この地に土着し草創したと伝わる浄土宗の古刹で国分寺涯線上に在るため眼下に多摩川を見下ろす眺望絶景の地に在り、「玉川八景」の名所として、行楽に訪れた将軍家の休憩所にもなった格式ある寺でした。

 国分寺崖線に沿う史跡としては、国分寺市(殿ヶ谷戸庭園)、小金井市(はけの道)、調布市(深大寺)、世田谷区(岡本・瀬田地区、等々力渓谷)等を巡りましたが、今回を持って国分寺涯線シリーズは、終了したいと思います。
又、この涯線に沿う野川についても、上流から下流まで一通り歩きましたので、終わりとします。

 崖線の坂を下り、二子玉川駅近くの「磯丸水産 二子玉川店」で、昼食会を実施した後、解散しました。 

 次回、第43回ふれあいウォーキングは、9月29日(土)狛江市及び調布市の史跡を訪ねる予定です。
家族・友人を含め多くの皆様の参加を、歓迎致します。

平成30年6月10日 

武蔵野の史跡を巡る会   世話人  道面 康紀

第41回(平成30年4月)  「源頼朝の武蔵入国の地を探る」

第40回(平成29年11月) 「武蔵野の面影を求めて羽根木から駒場野へ」

第39回(平成29年10月) 「石神井川沿いに史跡を訪ねる」

第38回(平成29年5月)  「練馬十一ヵ寺から愛染院を経て光ヶ丘公園へ」

第37回(平成28年12月) 「落合からおとめ山公園を経て西池袋へ」

第36回(平成28年10月) 「渋谷川に沿う台地上を歩く(広尾から金王八幡を経て表参道へ)

第35回(平成28年7月)  「武蔵野の面影を求めて(和田堀廟所から烏山念仏堂へ)」

第34回(平成28年4月)  「文京の台地(小日向台、目白台)に史跡と庭園を訪ねる」

第33回(平成27年12月) 「文京の里に名園・名刹を訪ねる」

第32回(平成27年10月) 「八王子市に千人同心の史跡を訪ねる」へリンク

第31回(平成27年7月)  「再び豊嶋氏の石神井城を訪ねる」へリンク